ここ最近少年犯罪が増えているのは
何故なんでしょうか?
親が悪い、学校が悪い、社会が悪い、
本人が悪い・・・様々言われています。
親が悪いとはどうゆうことでしょうか?
親と子供の会話が少なくなり、
特に父親との会話が急激になくなって来ているようです。
親は子供のすることに関心を示さなくなり、
子供は親から愛されていないと感じてしまう。
確かに今の日本の社会では仕事も忙しく、
子供のことに関わっている暇などないのかもしれません。
それでは、もっと昔はどうだったんでしょうか?
昔は一家庭あたりの子供の数も多く
一人の子供に、深い愛情は与えられていませんでした。
子供の事に、時間を費やすという点では
むしろ、昔のほうが短かったのです
私の恩師からこのような話を聞いたことがあります。
先生の家は兄弟が多く
戦時中、戦後と食料が少なくとても苦しい思いをされたそうです。
当然親たちも子供の事に関わっている暇など無かったそうですが、
家族(父親抜き)でご飯でスイトンを食べると、
母親が自分の分の小麦粉の御団子を全部、
子供たちに分けていたそうです。
先生は、
「母親の愛情があれば少年犯罪を犯すような子供が育つ訳はない」
と、おっしゃっていました。
昔の親は、普段は子どもにかまってなくても
ちゃんと子どものことを思ってくれていたと言うことでしょうか?
愛情は、量ではなく質が重要なんだと感じました。
もちろん親に愛情を受けても犯罪を犯す者はいるし、
親に邪険にされても真っ当な人生を送る者もいるでしょう。
幼少の頃から甘やかされて育つと、
我慢するということを知らず、
少しでも耐えられない事があると
すぐキレてしまって、犯罪を犯すのではないのでしょうか?
子供のころから、ちゃんと我慢することを教えていれば
成長してからワガママになることはないと思います。
私が小学生の時、少しだけ御金持ちの友達がいて
すごく親に甘やかされて育てられている子がいました、
好きな物は何でも買ってもらえて
その頃はその友人をうらやましく思っていました。
でも、その子は学校で少しでも嫌な事があると泣き喚きだし、
わがままで、僕を含めて周りの友人からも
嫌われていました。
(いじめはなかった思いますが)
子供の頃にチヤホヤされると大人になってから苦労する、
と、いう話を芸能界でもよく耳にします。
子役の芸能人は小さい頃は、
どんなわがままを言ってもチヤホヤされるが、
大人になってからは勝手が利かず
落ち目になっていくという話はよく耳にします。
小学校の頃に顔立ちが可愛らしくて
女の子にモテていた少年が思春期を迎え髭が生え声も低くなり
顔立ちもゴツゴツしてきて
とても可愛いとは言えない容貌になると当然女の子からは
チヤホヤされることはなくなります。
小さい頃に散々モテハヤサレた子供が
成長しモテハヤサレなくなる瞬間、
どのように感じるんでしょうか?
とても辛い事でしょうね。
でも、いくらワガママであっても
人を殺したり物を盗んではいけないことなど、
わかるはずです。
ではなぜ、少年は犯罪を犯すのでしょうか?
この質問には簡単には答えが出せないでしょう。
私の犯罪に対する考え方をズバリと述べると、
「犯罪者は、少年であるかどうかに関わらず、刑罰を受け反省すべきだ」
と、いう考えを持っています。
なぜなら、少年が犯罪を犯そうと
成人が犯罪を犯そうと、
犠牲者または犠牲者の家族の心が変わることはないし、
凶悪な事件を起した犯人に対して、
憎悪の念が消えることはないからです。
ならば、‘被害者に犯罪者を処罰させれば良いのか?’
というと、これは間違っています。
何故なら、憎悪を抱いているものに処罰の方法を決めさせると
”非人道的な方法を選びかねない”からであります。
手を切り、足を切り、火であぶって、目を潰し、釜茹でにする
等といった方法を現代に用いるわけにはいきません。
次に刑罰について述べたいと思います。
刑罰の目的には、主に、応報論と教育論が考えられています。
前者は行為を対象としており、後者は行為者を対象にしています。
当然、現代の考えでは教育論のほうが圧倒的に主流です。
「目には目を歯には歯を」という考え方では、
現代の司法は成されていません。
また、”法源とは何か”という問題を考えてみると、
成文法であるかどうかに関係なく、法源になりうるのですから
‘法律に書かれてあることだけで裁判を進めるべきではない’
と、いう結論が導き出されます。